東京に流れ着くことにした理由-2021.12-

わたしは今、東京で暮らしている。3月末に退職してから、まだ新しい仕事はしていない。けれど歌をうたって過ごしている。
31歳、彼氏ナシ、職ナシ。ついでに言うと貯金もギュインギュイン減ってきている。
そんなわたしが、東京での暮らしを決めたことや、歌をうたうことになったきっかけ、8か月以上も無職を貫いてきたこれまでについて、気が進むところまで書いてみようと思う。


文章を書くことからずいぶん遠ざかっている間に、わたしは大阪から東京に引っ越した。
めちゃめちゃ暑かったころだったから、あれはたしか8月くらいだったと記憶しているが、そのあたりからわたしは関東へ引っ越しをするため、主に神奈川に何度か足を運んでいた。関東には、これから仲良くしていきたいなと思う人が何人かいたし、会ってみたい人もいる。肌に合っている気がしたし、自分の兄弟も暮らしている。山より海が好きだから、ゆったりした時間が流れている逗子か、海に出やすくて暮らしやすい場所がいいな。そんな理由で。


引っ越しの理由って様々あると思うけど、多いのは転勤や結婚など、自分を取り巻く環境の中から新たな決断としてっていうのが多い気がする。わたしは、そういう「大きなもの」を何も持っていなかった。3月末で仕事は辞めていたし、同棲や結婚に踏み切るパートナーもいない。けれど、何も持っていない今だからこそ、自分が本当はどうしたいのかで決断も行動もしやすかった。

仕事を辞めてから信頼できるカウンセラーさんと出会い、あらゆる角度から自分と向き合い、自分を認める練習に伴走してもらった。人前であんなに泣いたのは、これまで生きてきた中でなかったと思う。とても苦しかったけれど、ずっと蓋をして見て見ぬふりをしてきた自分と対峙した瞬間のあの感覚は、どんな風に表現すればよいのかわからない。猛烈な安心感と猛烈な謝罪と猛烈な感謝。あえて言語化するならこんな感じかもしれない。わたしがわたしであることが個性だし、それだけで何も不足はしていないと、頭じゃなくて体で理解できた。こういうことを楽しみながらずっと続けていくことが人生なんだと思う。選択の先に、成功も失敗も特にない。
それから、好きも嫌いも、得意も不得意も何でも疑って、何でも挑戦した。そしたら、おもしろいことがポンポコポンポコ起こるようになって、おもしろい人とたくさん友達になった。


転機は9月末。今年の3月くらいにtinderで知り合って、なんとなくこのころまで連絡を続けていた大阪出身・東京在住の男と、大阪のバーのオープンマイクで歌ったのがきっかけだった。オープンマイクというのは、マイクや音響設備などを使わせてもらって、飛び入りで歌うことができるお店のことだ。元々歌をうたうことは好きだったが、楽器もできないし、人前に立って歌うなんてそんなことわたしにできるはずがない、そもそもわざわざ人前に立つ必要があるのか。そんな考えがあって、音楽活動はしてこなかった。けれど、初めて人前で歌ったあのときの感覚が、わたしは忘れられなかった。生演奏に合わせて歌う楽しさ、誰かと歌う楽しさ、あれだけ怖いと感じていた緊張の中に、何とも言い表せない色んな感覚がふんだんに詰まっていた。瞑想に近いような感じかもしれない。

自分の感受性の豊かさを活かせる仕事って、カウンセリングとかコーチングとか、きっとそういうものだと決めてかかっていたけれど、どうも『やった方がいい』という感覚が拭いきれなくてピンときていなかった。けれど、その感受性で何かを表現するということに、現時点での自分はとてもしっくりきた。
何より、音楽が本当に好きだということが伝わってくるその男のギターが、わたしはとても好きだった。体の一部みたいな感じなんだろうな。


元々、神奈川で物件を探していたし、何なら10月に入っても逗子方面での物件を諦めきれずにいたけど、まぁ面白いくらいに話がまとまらない。『ぜんぜん神奈川に呼ばれてない感』がビシバシした。
「音楽たのしかったし、もっとやりたいねんやったら東京に引っ越したらいいやん。」
心の中のわたしの声がハッキリ耳に届いた。
えぇ?!あたい東京の女になるのぉ!!!??

仕事していなくて賃貸の審査も通らないから、実家の父を契約者に充て、緊急連絡先の欄には叔母の名前を書かせてもらった。家族親戚、大協力のもと引っ越し当日に先方の不手際で鍵が届かないハプニングにも見舞われながら、なんとか無事に完了した。

それからギターの相方とカバー曲だけでなくオリジナル曲も練習し、腕試しにオープンマイクのある色んなお店で歌った。色んな縁がつながって、オシャレなカフェで歌わせてもらう機会をもらい、ついには1月頭にプロの方の前座を50分任せてもらえることになった。なんとありがたいことか。


何でわざわざ人前で歌うことをするんやろうって今でも思うけど、自分の感性や心の在り方、わたしそのものを歌に乗せる行為が心地よいのかもしれない。こう感じるうちは、音楽を続けてみようかなと思う。


31歳、彼氏ナシ、職ナシ。音楽活動を始めるために上京。これが、今のわたしがわたしのために選んだ人生だ。
おっちゃんの威勢のいい関西弁も聞こえてこないし、100均で「この突っ張り棒、最後の1本やけど、わたし買うてもいい?大きい棚届いたからそれに使おう思て…。お姉ちゃん、急ぎやない?ごめんなぁ。」とかって急に話しかけてくるおばちゃんもいない。道も電車の乗り換えもトコトンわからんし、冬の寒さに震えながらびっくりもしてるけど、わたしはしばらくここで歌をうたいながら暮らしていこうと思う。そろそろゆったりしたカフェかどっかの受付さんか、そんな感じで働き始めようかなとも思案中。
大阪出身・東京在住の男女のフォークデュオのわたしたち。東京のどこかで、歌ってます。