あのとき自分にしてあげられなかったことを

みんなに聞いてほしいことがある。わたし、また無職になります!

 

わたしの動向をなんとなく追いかけてくれている数少ない変態の方々は、わたしが去年約1年間、風を肩で切りながら全力で無職をしていたことをご存じだろうが、またそんな日々が始まる。大好きでとても楽しく働かせてもらっていたお店が閉店することになったからだ。悲しい。職場って普通になくなるんや。ほんとにそう思った。

そしてそれと同じ時期、わたしは組んでいた相方との音楽活動を一旦おしまいにする決断もしていたので、なんとまあ重なることってほんとに重なる。でもね、強がりでもなんでもなく、この先も何の問題もなくぜんぜん大丈夫なんだろうなって、なんなら少しこの状況を楽しんでいる自分もいたりするから不思議なもので。

 

それはたぶん、去年1年無職でも大丈夫だったから、まあ今回も大丈夫やろ、とかそんな感覚からくるものではなくて、自分に対する信頼度が変わったからだと思う。


去年1年、全力で無職をしていたわたしが何に全力だったかというと、パワーアップするために自己啓発本を読むことでも、可憐にお花を活ける趣味を始めるでもなく、自分をただひたすらに見つめて、認めてあげることだった。

苦手や目標に向かって走り続けること、それが正しいと思っていて、ちょっと自分を頑張らせすぎてしまい、毎日がうまく生活できなくなった経験があったので、どんな些細なことも、見つけたら全部とにかく受け入れて、認めた。

理想通りに朝起きられない小さな自責も、誰かに対して沸いた怒りや嫉妬も、一人で過ごして寂しいと感じる孤独も全部、否定も肯定もせずに、そこにあるもの、あって当然のものとしてただ認めて受け入れる。これがな、めちゃくちゃしんどいんや。


みんな、どこか目標があることに救われている自分がいたりしませんか?例えば、めっちゃしんどい仕事、実りそうにない片思い、自分の苦手を克服することなど。
頑張ることって最高に素敵なことだけれど、頑張ることが目的になってしまって、頑張ってるから大丈夫と自分を安心させてしまっているところはないですか?盲目的に頑張るって、とても気持ちがいい。けれど、もしかしたら本当の自分はそれを望んでいないかもしれない。

さっき上で挙げた、「ただ認めて受け入れる」。これには目標もなければ終わりもない。否定も肯定もしないから目標がないし、正しいも間違いもないからわかりやすい結果は何も訪れない。けれど、わたしはこれを自分にしてあげる人生を選ぶことにした。体を壊してしまったこともあって余計に、もう自分が自分にかわいそうなことはしたくないと強く誓った部分もあったと思う。

 

そして「ただ認めて受け入れる」には終わりがないと言ったが本当にそうで、生きているとマジで永遠にそのチャンスがある。ありすぎる。感情は日々、どんな瞬間も沸くものだから。

 

・器用に人とコミュニケ―ションが取れるあの人への嫉妬

・猛烈に異性にモテるあの人への羨望

・やりたくない仕事を人に押し付けるあの人への苛立ち

 

細かいところまで挙げてしまうと「あのときあの人の部屋で嗅いだお香の匂い」とか「吸い込んだ空気が冷たくて鼻がツンとした」とか「駅前の長いこの道、あのときに通った道と似ている」とか。おセンチですね。こんなふうに心は常に、五感を通しても何かに反応しているのだ。もちろん楽しいや嬉しいにもすべて。

全部見つけて受け入れるは無理。ぜんぜん無理だしそこまでやる必要はないと思う。死んじゃうから。やりたい人はやればいいと思うけどね。でも、生きづらさを感じてるときは、ちょっと一旦立ち止まってやってあげたらいいんじゃないかと思う。

 

だって、沸いてきたその感情は、もうすでにあるものだし、それは紛れもない自分なのだから。たとえ理想的な自分でなくても。
誰にも気づかれないし、気づいてもらえないものなのだから、自分で見つけて受け入れてあげるしかない。そうしないと、その欠乏感を頑張ることや、人からの承認だけで埋めなきゃいけなくなっちゃう。埋まらないものを一生、内側(自分)じゃなくて、外側(他人)に求め続けることになってしまう。そのとき受け入れてもらえなかった感情が別の何かで埋まることは残念ながらないし、あったとしても長くは続かない。
その気づいてあげられなかった感情、置いてけぼりにした感情が大きく膨らんだものが、もしかするとトラウマと呼ばれるものなのかもしれない。

 

わたしは、今でもぜんぜん上手には生きられていない。自分のモヤモヤをうまくわかってあげられず身近な人にぶつけてしまったり、「受け入れる」じゃなくて「責める」をやってしまったりして、たまにうまく眠れなかったりもする。けれど、それでも「わたしは自分の心にきちんと耳傾けてくれるし、受け入れる努力をしてくれる」と、わたしのことをとても信頼している。
これは今の心に限った話ではない。過去の自分が自分にしてあげられなかったことを、少しお姉さんになった今の自分が受け入れてあげたりもする。小さな頃の自分を迎えに行くような感覚で。何をやっても変えることのできない自分の心の動きの癖は、過去の経験の積み重ねからきているものだと思うから。だからもうわかってあげる。


きっと、自分を愛するとは、こういうことを日々自分にやっていくことなのだと思う。認めて受け入れることにわかりやすい結果は何もないとさっき書いたが、あるとするならば、自分に対する愛や信頼感が増すことなのだろう。

だから、わたしは無職になっても大丈夫。本当にそう思っているけれど、もし生きるのに困ったら、ふつうに野菜とか送ってください。みんなたすけて。


歩いて、エッセイを残す(大神神社編)-2021.3-

朝8時、起床。
まず、体の違いにびっくりする。

昨日の整体と、最近始めたストレッチが功を奏したようだ。

とにかく体がめちゃ軽い。
二度寝したくならないことってあるんだな。
それだけ、普段のわたしは疲れているということか。

しゃきんと起きて、溜まった洗濯物を回し、出かける準備をする。

今日は奈良県大神神社に行く。

前厄な上、絶賛☆体調不良中なので、体にくっつき倒している、ありとあらゆる良くないものを全力で祓いに行こうと思い立った。
これからはじまる、新しい生活へのゲン担ぎも兼ねて。

いつも必ず身に付けるアクセサリーは今日は付けない。飾るものは、何となくいらない気分だった。
歩きやすい靴を履いて、お気に入りのリュックを背負って、余裕を持って家を出た。

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MILLETのロゴが可愛い。

 

仕事の日、さいきんは特に二度寝をギリギリまでして粘るもんだから、駅までの道を短距離選手と同じフォームで駆け抜けてばかりいた。
お出かけする今日くらいは余裕を持って向かいたかった。


今日行く大神神社は、日本最古の神社で、神社の中にある「三輪山」という山そのものに神様が宿っているらしい。とても神聖な場所で、昔は人が立ち入ることすら許されなかったそうだ。

9時40分、電車へ。
余裕で電車に乗り込む。順調、順調。



わたしは毎年、ご祈祷をしにこの神社に行っ…

毎年…?はっっっ…!!!!
電車に揺られながら大きな忘れ物に気がついた。
前にご祈祷してもらったときのお札やら買った御守りやら全部、家に忘れてきてもーてる。順調剥奪だバカヤロっ!!あれ返すために行ってるところもあるのに!

思い出した今は絶賛、電車に揺られているし、なんならもう乗り換えの駅に着く。いやだ、戻りだぐないっっ!!!

聞けば、大神神社に向かう日に起こることは、神様からのお知らせなのだそうだ。
『確認を怠ることなかれ』ということか。普段の諸々から思い当たることが多すぎて、手を頭にあて、天を仰いだ。
神様…確認はとても苦手ですが、これからはきちんとします…。
お札や御守りのことは、ご祈祷してもらうときにでも聞こう。

10時4分、鶴橋駅着。
気を取り直して、鶴橋から近鉄に乗り換える。
ノンカフェインコーヒーがよかったのになかったので、ふつうのコーヒーを買う。

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ここで、若干の便意を覚える。
乗り換え時間約7分。乗車時間約40分。どうする。片手にはコーヒー。
あかん、ぜったいトイレ行きたなるやん。


しかし、この電車を逃したら到着時間が30分以上遅れてしまう。
今日は三輪山に登ろうと決めていて、入山受付は12時まで。到着がギリギリすぎる!

大腸や諸々と相談した結果、「電車に乗っちゃう!」を選択。黒のズボンで来たし、最悪、何とかなるので。

のんびり電車に揺られる。
電車の窓からさす光が心地よい。癒される。
コーヒーも美味しい。電車の優しい揺れに、思わずうとうとする。


『お手洗いは、2両目と3両目の間にございます』
ここで、吉報すぎる車内アナウンスが飛び込んできた。

なんや、トイレあるんやないか、ワレェ!
無敵じゃないか。怖いものはもう、何もない。そう感じるとすぐに睡魔取り込まれ、10分くらいぐっすり眠った。

起きてすぐ、目がカッ!っとなった。便意だ。
おのれ、急にきたな。でも、慌てる必要はない。この電車には備え付けのトイレがあることを、わたしは知っている。

電車の振動に歯を食いしばりながらトイレに向かい、鍵が空いていることに安堵しながらセットポジションに入り、全集中する。

お通じがあまり良くない方なので、この出来事だけでも、素晴らしい一日のスタートが切れた、そう感じた。


意気揚々と座席に戻り、時計を見る。
次は、桜井駅で10時53分に乗り換えか。
時計を見る。10時54分だった。

 

…過ぎとんな?????

めちゃくちゃうんこしてたら、めちゃくちゃ降り忘れてた。
神様、これはなんのお知らせですか?
『うんこはしたくなったときにすぐするのが吉』。そういうことですか???

 

慌てても仕方がない。過ぎちゃったんだもん、仕方ないよね。ってことで、空(くう)を見つめ、次の駅で降りた。

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ここどこ???(失礼)

だーーーれもおらん。
あ、でも次の駅の長谷寺って、確かアジサイが有名なお寺だった気がする。奈良だったのね。意図せず、有益な情報が得られてよかった。梅雨の時期に来よう。

11時29分、三輪駅着。
けっきょく、入山受付ギリギリ。
間に合えばいっか〜。

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御守り売り場の方に受付場所を聞き、少し急いで向かう。

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不憫な名前の植物。

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より端的で不憫な名前の植物。
ボケが隣同士、仲良く生えてた。

 

入山の受付をする。
「往復で2〜3時間かかりますが、よろしいでしょうか?」と言われ、前回登った4年前のことを思い出す。
そんなにかかった記憶はなかったけれど、2,3時間というワードに少しのけぞる。
「はいっ!」つったけど、心の中では「…へぁい(小声)」くらいの感じで返事をした。


11時55分入山。

軽くお祓いを済ませ、いよいよ入山する。
前回、入山前に備え付けてある杖を見て、「いやw杖てwwいらんいらんww」と嘲笑しつつも念のため1本持って上がったのが大正解だった。
たしかあのときは、割とすぐに杖に頼り、杖に体重を預けまくって登った。
今回は2本。増やしといた。ウケる。



御神体に入山してからは、撮影禁止なので、携帯は触らずリュックの中へ。
いつもあれこれ考えを巡らせてしまうので、山に登っている間だけでも無になって、目の前のことだけに集中しようと決めていた。


ここからは、記憶を頼りにお届けしていく。

入山開始、5分後。
あれ?こんなしんどかったっけ?
早くも杖2本で体を押しながら進む。読んでくださってるそこのあなた、杖をナメちゃいかんよ。これは本当に捗る。山と杖って、こんなに相性いいの?これまで、山にはおにぎりがいちばん相性いいと思ってた。


登り始めて15分経たないうちに、早くも汗ばんできた。ダウンを着てきたことを猛烈に悔やみ、引きちぎりたい衝動に駆られたが、大人だし、長女なので我慢できた。


屋根付きの休憩所を見つけ、一片の迷いもなく足を伸ばしてベンチに座る。ダウンはリュックに詰め込んだ。ダメだ、もうしんどい。


でも、山っていいな。空気が澄んでいて、鼻の奥がツンとして。頬が冷たくなるのもいい。

これから酷使することになるであろう足腰を中心にストレッチする。
靴を脱いで太ももの前や外を伸ば…足クサっ。
え、もう?もうクサいの??

神様、こちらも一緒に清めてください。

意を決して、山を登る。序盤にも関わらず急勾配な山道が続いたので、はちゃめちゃに杖を使いながら登る。釜爺やん。って思った。

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少し想像してみてほしい。長い杖を両手に携え、忙しく動かしながら山道をガニ股で駆け上がる姿を。完全に彼だよね!

三輪山は、登山道と下山道が同じなので、登り終えた人たちが下りてくる。
すれ違うには少し狭い道もあるので、善人のふりをし、立ち止まって譲った。
ただ休憩してるだけで、先ゆく人たちにお礼を言われる。この仕事だけして、月50万円欲しい。

釜爺で山道を行く途中、カップルがイチャつきながら下山してきた。「あゆにゃん」と呼ばれるその女は、男と手を繋ぎながら内股で山道を下る。
こんな急こう配にその内股でまったく態勢を崩さないあゆにゃんの恐るべき体幹の強さに賞賛を送りながらも、今回ばかりは決して道は譲らず、強い気持ちで歩みを進めた。杖と手を繋ぎながら。

山の中には何地点か、お詣りができる場所が設置されていて、見つけたら手を合わせて、頂上へと進んでいく。


これより先は、「しんどい」「木の幹太い」「しんどい」「切り株座りやすい」「岩も悪くない」「しんどい」という記憶しかない。


キツい勾配の山道を登るたびに、釜爺が脳裏をかすめる。
ぜんぜん無になれんのだが??????
まぁ、あれこれ考えるより釜爺の方がぜんぜんいいか。

途中、しんどすぎて「しんどっ…デュフw」って声に出して、にまにまと笑いながら登った。人は本当にキツいとこうなります。大丈夫。山しか見てないから。

しんどいけど、楽しい。

竹でできた杖がカポンカポン鳴って、風に細い枝がギィギィしなって、土を踏む音がザッザッと聞こえる。上がる体温。山に登っている実感がわく。


頂上まで、もう少し。立ちはだかる急勾配。足もしんどいし、息も切れる。
ほとんど何も考えられない状態で、ついに到達した。1時間かからないくらいで着けただろうか。


ここには大きな木々の前に、小さな賽銭箱が備え付けてあって、お詣りができるようになっている。スッキリとした神聖な気持ちで手を合わせ、少し休憩してから下山する。

 

下っていると、山道が急だったことを改めて実感する。こんな道、登って来たんだな。偉いな。嬉しいな。


前を歩いているご夫婦と、わたしより少し年上っぽい娘さんの会話が聞こえる。

「膝、めちゃくちゃ笑ってるわ!」
ガハハと笑うお父さんの言葉に、そんなにキツいんやな…お疲れ様です…と他人事のように耳を傾けていて、ふと気が付いたけれど、わたしの膝も、ちょっと笑ってた。
爆笑とまではいかないけれど、「デュッ、デュフッ、デュフフフw」くらいには笑ってる。それを見て、わたしも同じように笑った。


体から何か湧き出るようにワクワクする感覚があったので、比較的平坦な道に出るたびに、少し走りながら下った。山賊か?
武器(杖2本)も持ってるし、傍から見たらそれに近いものはあるけれど、達成感みたいなものが背中を押して、デュフデュフ笑う膝をものともせず、登山口までわたしを誘った。

 

13時50分、下山。
はぁ、疲れた。でも楽しかった。
自律神経不調の影響で出ていた喉の詰まりも、幾分、マシに感じた。

 

さて、腹ごしらえだ!
今日は、三輪山の他にもうひとつ行きたい場所があった。
知人から美味しいと聞いていた和惣菜屋さん。
有名な三輪そうめんとのセットが絶品なんだそう。

撮り忘れたが、そこに向かうまで、びっっくりするくらい急な石畳でできた下り坂が立ちはだかったので、ちょっと引いた。足腰にくる。

「雨の日注意!!!」「滑りやすくなっています!!!」みたいな鬼気迫る看板が何個もあった。死人出たんとちがうか、ここ。

 

14時15分、花もり到着。

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少し外れたわかりづらい場所にあるのに、お客さんが3組くらいいた。
いいお天気なので、外で食べている人が多かった。

 

中もいい感じ。

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メニューはこんな感じ。

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どれも美味しそうで迷ったけれど、花もり野菜膳(御神饌にゅうめん付き)にした。お値段、1,350円。


BGMとかはいっさいかかっていなくて、風にそよぐ葉の音と、野菜を切る音、天麩羅の揚がる音だけが店内に響いた。遠くでうぐいすも鳴いている。いいなぁ。

そうこうしている間に、お料理が到着。

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うわぁーーーー!!!
めちゃくちゃ美味しそう!!!

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お野菜たっぷり!!

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お出汁の香りがすごい!!


あのね、本当にすっごく美味しかった。
お野菜そのものも美味しいし、味付けも優しくて深みがあって。
にゅうめんも、いろんな素材から出汁をとった味がして、冷えた体に染み渡った。

丁寧さとこだわりが込められていて、ちょっと感動した。本当に。
そのくらい、わたしは大好きな味だった。

この辺りに来ることがあったら、ぜひ立ち寄ってほしい。お店を切り盛りする女性の方に、「本当に美味しかったです。ぜったいにまた来ます」と伝えて、店を後にした。

 

さて、続いてはご祈祷をしてもらうために祈祷殿へ向かう。
なんにせよ前厄な上、実はいま、あまり体調が良くない。

いろんなことが重なって、昨年9月から喉の詰まり、動悸が慢性的に続いていて、ついに2月末くらいから、耳も聞こえづらくなっていた。
頼むぞ、神様。

ご祈祷の受付を済ませ、ついでに、古いお札やらを家に忘れたことを、神妙な面持ちで伝えたら「近くの神社にお返しください」とのこと。どこでもいいそうだ。よかった!


ご祈祷、ここ5年くらい毎年してもらっているのに、毎年笑いそうになる、いや、ちょっと笑っちゃうのなんでだろうな。バチが当たれ。


最後に、おみくじを引いて帰ろうと思ったのだけど、このご時世。あの、六角形の筒状のものを振り回してくじを引っ張り出す形式のものはなく、代わりに小さなモニターが設置されていた。名もなきリスのキャラクターがこちらに向かって微笑んでいる。

『リスに向かって手を振ってください』

なるほど。なんか味気ないなぁと思ったけれど仕方がない。
リスに向かってぶんぶんと手を振る。
…が、リスは、笑いながら筒状のおみくじを上下にシェイクするだけで、ぜんっぜんおみくじを引っ張り出さない。おちょくってんのか?

すぐ奥に巫女さんが座っているので、羞恥心もプラスされる。興奮した。

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末吉。くそっ!
でもね、結構いいこと書いてる。
『自分を信じる』か。確かにそういう部分、欠けてたかもなぁ。
これからリセットして、しばらく仕事をせずゆっくり過ごすから、新しい自分として、心に留めておこうと思った。

おみくじをくくりつけて、深々とお辞儀をし、大神神社を後にする。

駅に着くとタイミングが悪かったのか、笑けるくらい電車が来ない。40分くらい待たねば。

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日が落ちはじめて、少し冷えてきた。寒い。山も近いしな。

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座布団が引いてある。優しい。
座ってみて、綿のあたたかさに感激した。

 

17時3分三輪駅出発。

けっきょく、一日中外にいたな。
こんなに自由で、充実した休日はいつぶりだっただろう。
休みの日は昼前まで寝ていることが多かったから、たった数時間早く起きただけで、こんなにも一日が長く感じるものなのか。

それから数日、心なしか体調がいい。ただ、ぎっくり腰にはなった。
ご祈祷中に笑ったからか、リスに強く当たったからかもしれない。
奈良の方面に、深々と頭を下げておくことにする。


今年は、どんな一年になるだろう。
何もしないことから、まず目標に掲げている。
どんな自分に出会えるか、とても楽しみだ。

東京に流れ着くことにした理由-2021.12-

わたしは今、東京で暮らしている。3月末に退職してから、まだ新しい仕事はしていない。けれど歌をうたって過ごしている。
31歳、彼氏ナシ、職ナシ。ついでに言うと貯金もギュインギュイン減ってきている。
そんなわたしが、東京での暮らしを決めたことや、歌をうたうことになったきっかけ、8か月以上も無職を貫いてきたこれまでについて、気が進むところまで書いてみようと思う。


文章を書くことからずいぶん遠ざかっている間に、わたしは大阪から東京に引っ越した。
めちゃめちゃ暑かったころだったから、あれはたしか8月くらいだったと記憶しているが、そのあたりからわたしは関東へ引っ越しをするため、主に神奈川に何度か足を運んでいた。関東には、これから仲良くしていきたいなと思う人が何人かいたし、会ってみたい人もいる。肌に合っている気がしたし、自分の兄弟も暮らしている。山より海が好きだから、ゆったりした時間が流れている逗子か、海に出やすくて暮らしやすい場所がいいな。そんな理由で。


引っ越しの理由って様々あると思うけど、多いのは転勤や結婚など、自分を取り巻く環境の中から新たな決断としてっていうのが多い気がする。わたしは、そういう「大きなもの」を何も持っていなかった。3月末で仕事は辞めていたし、同棲や結婚に踏み切るパートナーもいない。けれど、何も持っていない今だからこそ、自分が本当はどうしたいのかで決断も行動もしやすかった。

仕事を辞めてから信頼できるカウンセラーさんと出会い、あらゆる角度から自分と向き合い、自分を認める練習に伴走してもらった。人前であんなに泣いたのは、これまで生きてきた中でなかったと思う。とても苦しかったけれど、ずっと蓋をして見て見ぬふりをしてきた自分と対峙した瞬間のあの感覚は、どんな風に表現すればよいのかわからない。猛烈な安心感と猛烈な謝罪と猛烈な感謝。あえて言語化するならこんな感じかもしれない。わたしがわたしであることが個性だし、それだけで何も不足はしていないと、頭じゃなくて体で理解できた。こういうことを楽しみながらずっと続けていくことが人生なんだと思う。選択の先に、成功も失敗も特にない。
それから、好きも嫌いも、得意も不得意も何でも疑って、何でも挑戦した。そしたら、おもしろいことがポンポコポンポコ起こるようになって、おもしろい人とたくさん友達になった。


転機は9月末。今年の3月くらいにtinderで知り合って、なんとなくこのころまで連絡を続けていた大阪出身・東京在住の男と、大阪のバーのオープンマイクで歌ったのがきっかけだった。オープンマイクというのは、マイクや音響設備などを使わせてもらって、飛び入りで歌うことができるお店のことだ。元々歌をうたうことは好きだったが、楽器もできないし、人前に立って歌うなんてそんなことわたしにできるはずがない、そもそもわざわざ人前に立つ必要があるのか。そんな考えがあって、音楽活動はしてこなかった。けれど、初めて人前で歌ったあのときの感覚が、わたしは忘れられなかった。生演奏に合わせて歌う楽しさ、誰かと歌う楽しさ、あれだけ怖いと感じていた緊張の中に、何とも言い表せない色んな感覚がふんだんに詰まっていた。瞑想に近いような感じかもしれない。

自分の感受性の豊かさを活かせる仕事って、カウンセリングとかコーチングとか、きっとそういうものだと決めてかかっていたけれど、どうも『やった方がいい』という感覚が拭いきれなくてピンときていなかった。けれど、その感受性で何かを表現するということに、現時点での自分はとてもしっくりきた。
何より、音楽が本当に好きだということが伝わってくるその男のギターが、わたしはとても好きだった。体の一部みたいな感じなんだろうな。


元々、神奈川で物件を探していたし、何なら10月に入っても逗子方面での物件を諦めきれずにいたけど、まぁ面白いくらいに話がまとまらない。『ぜんぜん神奈川に呼ばれてない感』がビシバシした。
「音楽たのしかったし、もっとやりたいねんやったら東京に引っ越したらいいやん。」
心の中のわたしの声がハッキリ耳に届いた。
えぇ?!あたい東京の女になるのぉ!!!??

仕事していなくて賃貸の審査も通らないから、実家の父を契約者に充て、緊急連絡先の欄には叔母の名前を書かせてもらった。家族親戚、大協力のもと引っ越し当日に先方の不手際で鍵が届かないハプニングにも見舞われながら、なんとか無事に完了した。

それからギターの相方とカバー曲だけでなくオリジナル曲も練習し、腕試しにオープンマイクのある色んなお店で歌った。色んな縁がつながって、オシャレなカフェで歌わせてもらう機会をもらい、ついには1月頭にプロの方の前座を50分任せてもらえることになった。なんとありがたいことか。


何でわざわざ人前で歌うことをするんやろうって今でも思うけど、自分の感性や心の在り方、わたしそのものを歌に乗せる行為が心地よいのかもしれない。こう感じるうちは、音楽を続けてみようかなと思う。


31歳、彼氏ナシ、職ナシ。音楽活動を始めるために上京。これが、今のわたしがわたしのために選んだ人生だ。
おっちゃんの威勢のいい関西弁も聞こえてこないし、100均で「この突っ張り棒、最後の1本やけど、わたし買うてもいい?大きい棚届いたからそれに使おう思て…。お姉ちゃん、急ぎやない?ごめんなぁ。」とかって急に話しかけてくるおばちゃんもいない。道も電車の乗り換えもトコトンわからんし、冬の寒さに震えながらびっくりもしてるけど、わたしはしばらくここで歌をうたいながら暮らしていこうと思う。そろそろゆったりしたカフェかどっかの受付さんか、そんな感じで働き始めようかなとも思案中。
大阪出身・東京在住の男女のフォークデュオのわたしたち。東京のどこかで、歌ってます。

大好きな母のこと-2021.6-

わたしは、母が大好きだ。
一昨年、ひとり暮らしをはじめたタイミングで生まれてはじめて実家を出た。
今まで実家を出なかった理由は、特に出る理由がなかったから。
恥ずかしながら実家を出るという発想すら、当時のわたしにはなかった。

けれど、28歳の冬。「このままではあかん。あかん気がする」と思い立ち、転職のタイミングで実家を出ることにした。

転職してから、それはそれは爆裂に忙しかったが、それでも、会社から最寄り駅に向かって歩く時間や、電車が来るまでの短い時間に、わたしはよく母に電話を掛けた。
なにかあった日も、なにもない日も。なんでも話すわけじゃない。しんどいことを聞いてほしいわけじゃない。その日あった些細なこと、それこそ「作っていったお弁当のおかずがおいしかったよ」とか「こんな学生がいて(当時は教育関係で働いていた)、めちゃくちゃ手焼くけど、かわいいねん」とか。

母は本当に聞き上手で、母以上に聞き上手な人に、わたしはこれまで出会ったことがない。気乗りしないのになんとなく電話を掛けたときだって、けっきょく最後にはわたしがずっと話をしている。母との電話はいつもそのパターンだった。


母は8年ほど前、脳の大きな手術をした。開頭手術。半日かかる大手術だった。術前の話では、ほとんど後遺症も残らないだろうということだったが、けっきょく、視野の欠損と手足のしびれ、高次脳機能障害からくる軽度の失語症などが残った。高次脳機能障害は、脳の中で辞書がバラバラになっているイメージなんだそうだ。相手の話を聞くとき、自分の話をするときに、整理されていない無数の言葉のある辞書の中から、的確な言葉と意味を拾って、考えて、自分の言葉で相手に伝えなければならない。これはものすごく疲れるだろうなと思う。わたしは母に話をするとき、以前より少しゆっくり、わかりやすい表現で話をするようになった。


とは言っても、病気をする前と後で、母が大きく変わったかと言われると、そんなことはないかもしれない。父や兄はそんな風に言う。わたしも劇的に変わったとは思わないのだが、それでも以前とは少し違うなと感じる部分もある。
そのひとつが、涙もろくなったこと。ドラマなどを観て泣くことはあったが、「悲しい」とか「寂しい」とか、そういった個人的な感情を家族の前で出すことはなかったと思う。少なくとも、わたしたち子どもの前で泣いている母の記憶はない。

けれど病気をしてから、母の涙をわたしはたくさん見るようになった。最近は少なくなったが、例えば、わたしが嬉し泣きしていたら一緒に泣く。買い物で買わないといけないものを買い忘れて泣く。うまく自分の言いたい言葉が出てこなくて泣く。
きっと母自身、「こんな自分じゃなかったのに」という過去とのギャップに苦しんでいるところもあったのだと思う。
そのたびに、母に感謝の気持ちを伝えた。本心だった。母が生きていてくれて、穏やかな日々を過ごせることは、この上ない幸せなのだ。
しゅんとする母に「大丈夫、大丈夫!」と笑いながら声を掛けると、そのときも泣く。なんと愛おしいことか。本当に愛おしい。


実家を出る日。両親に引っ越しを手伝ってもらった。引っ越しを終えて、わたしだけが新しい家に残るとき、「そっかぁ、一緒に帰らへんねんなぁ。」と少し寂しそうに言った母のことを今でも覚えている。わたしも母が大好きだが、母もわたしが大好きなのだ。母にたくさん電話を掛けるのは、わたしが話を聞いてほしい気持ちはもちろんあったけれど、母に寂しい思いをさせたくないという気持ちも、またあった。
実家に帰ると、「また来てなぁ。」と言う。そこには暗に「すぐに」という気持ちが込められているように感じていた。


そしてさっき。わたしはまた母に電話を掛けた。ウォーキング中だったそうで、電話越しに、アスファルトを歩く音と、はぁはぁと息の上がる声がして、「かわいいな。頑張れ!」と思いながら、どのあたりを歩いているのか尋ねたりした。

「最近なにしてるん?」
電話で話をするなんて久しぶりでもなんでもないのに、母は決まって、自分の話をするのではなく、わたしの話を聞きたいと思ってくれる。
つい、なんとなく環境を変えたくて関東への引っ越しを考えていることをポロリと口にした。すると母は、

「行ったら?行ったらなんかあるやろ。」

実にあっけなく、特に驚く様子もなくわたしに言った。
もっと驚くと思ったし、もっと寂しがると思った。なにより、背中を押されるなんて思ってもみなかった。遠くに行ってほしくないからとかそういう理由だけではなく、仕事もしていない、なにをするかも決まっていない中でのわたしの突飛な行動を懸念して、「落ち着きなさい」的な言葉を掛けられるんじゃないかと思っていた。
いろんな感情が込み上げてきて、わたしは泣いた。嬉しかった。こんなにも愛されて、こんなにも信頼されているんだということを、母のこのひとことで感じた。
同時に、わたしは母に対して、「わたしがそばにいてあげなきゃ」という使命感みたいなものを持っていたんだと気が付いた。そして、その使命感に支えられていたのは、まぎれもなく自分だったということも。

仕事がしんどいとき、友達と過ごして楽しかったとき、恋人との関係がぎくしゃくしてつらかったとき、具体的な話はしないけれど、その使命感があったから、わたしは安心して母に電話を掛けることができた。寂しい思いをさせたくないんじゃなくて、自分が寂しかったんだ。わたしが母に話をしたかったんだ。電話の先で、母が「待ってくれている」という絶対的な安心感に支えられていた。けっきょく、ずっと母に与えてもらっていた。
母を信頼しよう。今よりもっと。母がわたしを想ってくれているように。


「東京にはいろんな人がおるからなぁ。おもしろいやろなぁ。」

母もむかし住んでいた東京。そこで父と出会って大恋愛の後、結婚した。
本当に関東に行くかはわからないし、これから自分がどんな風に生きていくかなんて見当もつかない。
けれど、どこに行ったって、こんな風に惜しみなく愛情を注いでくれる人がいる。そしてどこに行っても、わたしは母にたくさん電話を掛けるんだろう。

好奇心が大暴走した話

好奇心は時として、人を窮地に陥れる。
突拍子もない、大胆な行動をさせる力を持っているから。


わたしがまだ兵庫県に住んでいたときだから、3歳くらいの頃の話になる。
両親と兄ひとりと猫1匹。決して広いとは言えないマンションで暮らしていた。たしかその日は父がいたので、日曜日だったと記憶している。

休みの日はたいてい、父がいろんな場所に連れて行ってくれたが、その日は天気があまり良くなく、家で過ごしていた。

父のサービス精神の旺盛さはすさまじく、外に遊びに行くときはもちろん、家にいるときだって、わたしたち子どもを飽きさせることはなかった。とにかく全力で笑いを取りにいくし、やんちゃ盛りの子どもふたりの無理な要求や強めの攻撃にだって、ほとんど笑顔で答えてくれていた。
プールに遊びに行ったときは、よく父をサーフボードの代わりにして遊んだ。50mプールで息が続く限り潜水して平泳ぎをさせ、兄とふたりで父の背中に乗ってサーフィン気分を味わった。子どもなので、もちろんおとなしく背中に乗っているわけがない。あれはほとんど拷問だったので、よく笑って許してくれたと思う。数年経ち、日焼けを重ねてシミだらけになった父の背中を指差し、「汚い」というわたしたち。ひどすぎる。ひどすぎておもろい。

サービス精神旺盛なところは今でも健在で、実家からひとり暮らしの家に帰る際にはほぼ必ずと言っていいほど駅まで送ってくれるし、実家でのひとときを最後まで楽しいものにしてもらおうと、「ひいろちゃん!いってらっしゃい!!!気ぃ付けてな!!!」と駅にいる全員がこちらを一瞥するくらいの大声を車の中から出して見送ってくれる。人前でただ大声を出すというシンプルなボケだが、その思い切りのよさとバカらしさにいつも笑ってしまう。周りにいる人たちにとっては、こんな迷惑な話はないとは思うのだけど。でも、これに関してはマジで恥ずかしいのでやめてほしい。腹から声を出すな。

そんなわけで、子どもの頃はどこかに出掛けても出掛けなくても、いつも全力で笑いを取りにいく父と、いつもニコニコほんわかした母とわたしと兄とで、楽しい毎日を送っていた。あの日もそうなるはずだった。

家で家族と楽しく過ごした夕方に事件は起こる。
ふと、どんぐりが見たいと思った。なんで??おい子どもの俺、なんでや??
子どもの発想や行動には本当にびっくりさせられる。そこには、ルールも法則も固定観念も何もない。「どんぐりが見たい」の直球ど真ん中ストレート。ただそれだけなのだ。

あの日のことを大人になってから父に聞いたが、季節は夏だったらしい。どんぐりは、今まさにどんぐりの実になるために頑張っている最中なので、もちろんあるわけがない。けれど当時のわたしは、なぜかどんぐりがこの家にあることを知っていた。玄関を入って左に曲がった畳のお部屋。そこの衣装タンスの小さな引き出しの中に、ハンカチに包まれるようにしてどんぐりが眠っている。どんぐりへの執着が記憶をここまで明確にさせるのだろうか。どんぐりの何が、当時のわたしをそうさせたのかわからない。しかし行ってみると本当にあったのだ。念願のどんぐり。たまごボーロくらいの小ぶりのどんぐりを親指と人差し指の間に挟んで転がしたとき、なんとも言えない高揚感に包まれた。


「このどんぐりを、鼻の穴に入れたい」。
なんでや、全然わからん。
しかし新たな好奇心と欲求の渦に一気に飲みこまれ、次の瞬間にはどんぐりがもうわたしの左鼻の穴へと吸い込まれていた。
「ヤバいかもしらん」。瞬間、悟った。モニタリングかなんかで、どんぐりを鼻に入れるまでの時間を競っていたとしたら、間違いなく優勝していると思う。鼻に入れる瞬間、「ちょっとヤバいことになるかもしらん」がよぎらないわけではなかったが、そんな陳腐なこの先への不安は、子どもの好奇心を前にすれば太刀打ちできるはずがない。はたから見ていれば、一片の迷いもないスムーズなどんぐり運びだったと思う。
当時のわたしのすごいところは、なにも好奇心だけの話ではない。ファーストアタックの段階ですでにどんぐりを鼻の穴の中腹あたりまで押し進めていた。先のことなんて一切考えない大胆な指使い。思い切りがいいなんてもんじゃない。

まだ3歳にもなっていない当時のわたしは、自分で鼻がかめるかも危ういほど幼かった。空いている右の鼻の穴をふさいで勢いよく「フンッ!」とどんぐりキャノンをするなどという発想すら持てなかった。どんぐりを掻き出そう、掻き出そうと鼻に穴に指を入れれば入れるほど、どんどん吸い込まれていくそれは、恐怖以外のなにものでもなかった。「どんぐりが鼻から取れへん状況」が、小さなわたしを絶望に追い込むことなんて容易いものだ。もう、大丈夫だと激しく思い込む以外、平常心を保つ方法はなかった。
大人でもちょっと焦ると思う。アクセサリーショップに行って指輪を試着して取れなくなったときの、あの焦燥感に少し似ている。しかし、こちとら鼻ぞ?

”鼻は、呼吸をしたりにおいを感じたりするだけではなく、湿度の調節や異物(細菌やほこり)の進入を防ぐなど、人間の健康にとって大切な働きをする場所です。”

 

 

な?

今なら、「どんぐり 鼻に入れた 好奇心の暴走 何科」などと自らググって解決できるだろう。
しかし当時のわたしは、このヤバさをどう対処すればよいかわからなかった。困らせたくなかったからなのか、怒られると思ったからなのか、リビングにいる両親に「ちょっとヤバいことになったかもしらん」とは言い出せなかった。ヤバいことにはなっていないという祈るような思いもあったのかもしれない。

その部屋でどのくらい立ちつくしていたのかわからないのだが、隣の部屋に行ったきり帰ってこない娘に両親が気が付くのも時間の問題で、父が様子を見に来た。雨に打たれた子犬のように不安げな表情を向けるわたしに、「どうしたんや」と声を掛けてくれた父を見て、声を上げて泣いた。「好奇心が暴走して、鼻にどんぐりを入れてしまったが、それが奥に入って取れんのです」が言えんので泣くしかできんのです。
泣いてばかりで埒が明かないので、父はオープンクエスチョンからクローズドクエスチョンに切り替えた。
・鼻を気にして泣く娘
・鼻を触ると痛がる娘
・わずかに膨らむ左鼻
・開いた衣装タンスの引き出し

「鼻痛いんか?」
「うん」
「何か入れたんか?」
「…うん」
「タンスのどんぐり入れたんか?」
「…うんっ」

コナンもびっくりの名推理である。一話でよいので出演させてあげてほしい。

点と点が線になって繋がったのに、こんなに嬉しくない結末ってあるんかと、普段あんなに明るい父が、子どもの目から見ても明らかに焦っていた。同時に、「これはほんまにヤバいことになっとるやんけ」の現実がわたしの胸に突き刺さり、その頃にはもうほとんど咽び泣いていた。
さらに不運なことに、その日は日曜日。どっこの病院も開いていないのである。たしか生まれたときも、日曜日で雷雨だったと聞いている。何かの宿命か。

そのあと父の運転するジムニーに乗せられ、着いたのは、暗くて古い救急病院だった。硬いベッドに乗せられ、仰々しい器具で鼻の奥を照らされる。今なら、「やら、らめ…そんなところまじまじと見ないれっ…」などと同人誌のセリフが脳内再生されるだろうが、そんな知識も余裕もない。怖すぎて逆にもう泣けなかった。先生は手早くホース状になった吸引機を取り出し、わたしの左鼻へと近づけた。

スポ――――ン!

吸引されたどんぐりが、すごい勢いで滑り台をすべるようにホースの中を転がっていった。安堵から号泣するわたしを尻目に、両親も先生も看護師さんも全員爆笑していた。ひどすぎ。患者側と病院側の気持ちの隔たりがこんなに大きいことある?

「いやぁ~よかったですねぇ~~!まさかどんぐりを鼻に入れるとは(笑)」
「ほんま、僕もびっくりしましたよ(笑)」

盛り上がるな。

しかし、この先生のおかげで、どんぐりとの共生が避けられたのも事実だし、この状況はどう考えてもオーディエンスがいちばんおもろいから仕方がないので目をつむることにした。


好奇心は、わたしたちを未知なる領域に連れて行ってくれる素晴らしいものに違いない。好奇心があるから、わたしたちはいろんなことに挑戦し、何にも代えがたい経験に遭遇したりできる。
ただ、どんぐりは鼻に入れたらアカン。どんぐりじゃなくても、鼻に入れていいものなんてほとんどない。好奇心は時としてこんな風に人を窮地に陥れるし、もしかすると人生を壊してしまうことにもなりかねない。
ちなみに、このどんぐりは記念に持って帰ったので、今でも実家のどこかの引き出しの中で眠っている。見つけて手に取ったとき、絶対に鼻に入れない、とは言い切れない。

8年越しのプレゼント

実家に帰ったついでに、いらないものを捨てようと自室を整理していたら、引き出しからこんなものが出てきた。

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ナンコレ????

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いらっしゃい!!たこ焼きバスボールだよ~!!

よかった~!すぐに教えてくれたおかげで何かわかってよかった~~!!!
同時に「〇〇だよ~!!」って口調で商品の方から伝えてくることあるんだなって思った。

さて、これが何かわかったのはいいけど、問題はなぜこれが引き出しの中に眠っていたのかということ。
めちゃめちゃ記憶を遡ってわたしはついに突き止めた。たしかこれは大学生のとき、同じ学科で同じサークルだったピッコロからもらったやつだ。
ピッコロはイケメンなのにいつも体調が悪そうで顔が緑色だったので、出会ってからしばらくそう呼んでいた。
「友達の誕生日プレゼントを買うのにロフトに行ったら売ってて、絶対に買わないとあかんと思った」と言われて手渡されたのがこれ。なんで?なんでそんな強い意志でわたしにこれを買い与えたの?
ぜんぜん意味がわからなかったが、おもしろかったのではにかんで受け取った。しかしこういうのって受け取るまでがピークで、引き出しを開けるこの瞬間まで頭からスコンと抜け落ちていた。
こんなもん、やるしかないやろがい。そう思ったはいいものの、これを受け取ったのは大学生の頃だから、軽く8年以上は経過している。バスボールって使用期限とかあんの?くるくる回して確認してみたけど、それらしい記載はどこにもなかった。「いつか爆発します」とかも書いてなかったので、わたしの身の安全は確保されている。わくわくしながら実家を後にし、さっそく試してみることにした。

バスボールを開封する前に改めて商品を確認する。香りってけっこう重要よね。どんな香りかな~。

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お祭り気分の香り


お祭り気分の香りかー!どんな香り???屋台から香る、ソースとかベビーカステラとかそんな感じのやつ?嫌だな、そんなお風呂にはすごく浸かりたくないなって心からそう思ったけれど、このご時世、お祭りが恋しいのも事実。ヨーヨーすくいやリンゴ飴、プールに冷たいお水を張ってキンキンに冷えたラムネ、戦隊もののお面が所狭しと並ぶお店、フランクフルトを高値で売りさばく声がガラガラのヤンキー、そんな楽しいお祭り気分を家で味わえるなんて最高じゃないか。目を瞑ると、そこはもうお祭り会場だった。オラわくわくしてきたぞ!

さらに商品をよく見ると、

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な、な、なんと1等は金色に光るタコ!?伝説のゴールデンタコ出現!!!!!

わたしは神輿の上でねじり鉢巻きにはっぴ姿、うちわまで持って踊り狂った。開封前からこんなに楽しませてくれるバスボールある?ないはずの胸がバインバイン弾んだ。「めちゃんこ めちゃんこ めっちゃんこ」遠くの方でアラレちゃん音頭も聞こえる。間違いない。ここはお祭り会場だ。





いざ開封

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絶対に口に入れちゃいけないんだろうなっていうイラストがバーンと目に飛び込んできた。
「逆にここでこのバスボールを口に入れたらどうなるかな?」と、神輿に担ぎ煽られ、すっかりお祭り気分に飲まれ切ったもう一人のわたしが挑戦的な表情で耳打ちしてくる。アカンて。楽しみ方を圧倒的に間違ってしまっているから。
見た目がこんなんなので、念のため原材料を確認したけど、「小麦粉、だし顆粒、ソース、青のり」とかは書いていなくてひとまず安心した。自宅のお風呂が、たこ焼きの湯にならずに済みそうだ。効能なに?

開封してすぐに匂いを嗅いでみたが、はじめて嗅ぐ匂いだった。既製品ではじめて嗅ぐ匂いってまだあったんだ。華やかで爽やかでいい匂い。君の髪の香りはじけた浴衣姿ってもしかしてこれのこと?(わからない人はお家の人に聞いてね!)
「線香花火マッチをつけて色んなことは話したけれど好きだってことは言えなかった」
うん、わかるよ。一番大切なことって言えないよね。

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Whiteberry(バスボール)を持って、意気揚々とお風呂場に向かう。プロが作る硬めの泥団子とちょうど同じくらいの大きさのそれを湯船に投入!!!
さあ!何が出るかな!!!?

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10秒経過。
ショワアァァァァーーーーーーーーーて言ってる。わくわく!

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30秒経過。
弱弱しくショワ…ショワショワ……っていってからついに何も起こらなくなった。もらってから8年。寝かしすぎたのかもしれない。そうだよな。8年前だったらわたしもまだ22歳。お祭り気分で騒いだってもしかしたらギリギリ許される年齢かもしれない。しかしあれから8年。今はどうだ。もう30歳じゃないか。立派な大人なんだ。「もう少し落ち着こうね。ほら、こんな風に…」。Whiteberryにそんな風に諭されているような気がした。「わかったよ。ありがとう。」そう返事をして、わたしは恐る恐る、彼女の亡骸を手のひらに乗せた。

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ボルボックス???????

ボルボックス

空になったたこ焼きのパッケージを見て思う。あなたの伝えたかった「お祭り気分」とはいったい何だったのか。お風呂場で、「ボルボックス?」って小さくつぶやくことになるなんて、いったい誰が想像しただろうか。湯船には、もう何も言わないWhiteberryのひとかけらが沈んでいた。

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ここに今から浸かるの?ほんとに?せめて効能だけでも知りたいと、パッケージを一周させたが、お祭り気分の一本鎗がわたしをさらに不安にさせた。わたし、一体どうなっちゃうの~~~~~??????!!!(この後、湯を右腕でめちゃくちゃ攪拌した)

さて、忘れてはならないのが、このバスボールはくじ付きだということ。お湯の中でシュワシュワーーー……ポン!!!みたいにタコが浮き上がってくると思っていたけれど、うんともすんとも言わなくなったので、ボルボックスを指でかき分けるほかなかった。そして出て参ったのがこちら。

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あれ!!!!!?????これ、もしかして…!!?

 

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おまっ…!伝説のゴールデンタコやんけ!!!!!!

こんなミラクル起こるんや。こんなことなら、もらってすぐに実践して、すぐにピッコロに報告するんだった。そしたら彼の緑の顔色も、このゴールデンタコのように輝いたかもしれない。

8年越しのプレゼントを受け取ったような気がした。卒業してからほとんど連絡を取っていなかったが、報告を兼ねて連絡することにした。

ライン

ピッコロはこれをわたしに買い与えたことをまったく覚えていなかったので、状況を説明した後、結果報告をした。

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ピッコロ。お前はあのときからずっと優しいな。「しょうもない報告ごめん!笑」と言うと、「ほっこりした!笑 またいいことあったら報告願います!」と気遣ってくれる優しさ。あなたにもきっといいことあるよ。

片付けをしてみると、ふと思いもよらないものに遭遇したりする。懐かしいものや、まったく身に覚えのないものまでたくさんでてきておもしろい。あまり外に出掛けられない今だからこそ、わたしたちが今持っているものに目を向けて楽しんでみるのもいいかもしれない。

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歩いて、エッセイを残す。(大自然編)-2020.12-

今年のうちに、苦手なことをひとつしておこうと思った。
ゲッターズ飯田の本にも「12月からは、やる気と行動力が幸運をもたらす」って書いてあったし。

わたしは、一人でどこかに出掛けるのが苦手だ。
見た景色、食べた物などを共感できないのが、寂しいと感じてしまうから。

けれど、歩きながら感じたことを書き留めてみたら、それはそれは、とても楽しかったし、寂しくもなかったし、エッセイも書けた。

今日わたしが、どんな一日を過ごしたのか。
読んでいる皆さんも、一緒に歩いてくれたら嬉しい。



12時。私市駅着。
ふつうにお腹が空いている。着く時間ミスったな、と思った。
コンビニが近くにあるそうなので、何か軽く食べられるものをと思って足を向けた矢先、「壺焼きいも」の文字が。秒速で横断歩道を渡る。



おじちゃんが、「帰って食べるの?」と聞いてくれたので、「星のブランコで食べます」と言ったら、透明の手袋を付けてくれた。
蜜がすごくて、手が汚れるほどらしい。期待大。

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わたしは今日、星のブランコに行く。
ロマンティック&ファンタスティックネーミングセンス。


ずっと行きたいなって思ってたけど、なんだかんだ理由を付けて、行けていなかった場所だった。



【ひいろが、ハイキングコースにログインしました】
ということで、意気揚々と歩き出す。川のせせらぎが、キラキラ光って眩しい。

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舗装されているような、されていないようなハイキングコースを歩く。
太陽が木々の隙間から出たり入ったりして、わたしの眼を交互に照らした。地球に住んでるなぁと思った。

吸い込んだ空気と頬が同じ温度で、体の外からも中からも、その場と一体になっていくような感覚があった。
自分の足で、違う場所に来たことを実感する。嬉しい。

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どんどん進む。まだ疲れない。

時に立ちはだかる、ぬかるんだ地面や岩路。
転ばないような歩き方を知っているのは、転んだことがあるからだろうな。なんだか大切なことを知れた気がした。

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さっき写真に収めた山が、ひとつひとつの木々となって目の前に現れる。

それらは、わたしが歩くペースで、わたしの目の横を通り過ぎて行く。なんと贅沢なことか。その速さは、わたしが決められることなんだ、と感じたとき、「人生」と思った。

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うん、ありがとう。
ちょっと不安になってたのよ、合ってるかな〜って。
こういうのは、必要なタイミングで現れるからおもしろい。


陽の光のおかげで、目の前にぜったいに蜘蛛の巣が張っていることがわかったので、くノ一の体制で前に進む。蜘蛛に顔を食べられないようにするための、最善の選択ができたと自負しています。



13時。ピトンの小屋、到着。ピトンてなに?

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周りは、売店で買ったフランクフルトとか、期間限定味のチロルチョコとか食べる中、わたしはさっき買った壺焼きいもを食べる。
山でサツマイモ。モンキーか?


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期待に胸を膨らませ、リュックを開ける。
蜜がすご過ぎて、リュックがびたびたになってた。食べるの先越されちゃった。

いざ実食。
な、な、な、なんやこれぇ!
お芋のジュースやないかぇ!!

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喉乾くかなーって思ってたけど、逆。
────皆さんは、お芋で喉を潤したことはありますか…?
わたしは今日、はじめて潤しました。


食べきれなかった壺焼きいもをリュックにしまう。おじちゃんが付けてくれた透明の手袋の中に入れた。ここで、人間とモンキーの知能の差を見せつけます。


ウキウキしながら進む。(モンキー)
目的地までもうすぐっぽい!

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と、そこで立ちはだかる2つの選択肢。
こんなもん、ぼうけんの路、一択やろがい!


(3秒後)

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おい、崖か?やめといたらよかった。
そんな気持ちを押し殺し、目的地まで400m?トラック一周分!トラック一周分!と自分を鼓舞する。(元陸上部)


何となく、いままでのことと、これからのことを考えていた。

28歳くらいで結婚して、30歳くらいには子供もいて、そんな「普通の人生」みたいなものを歩むんだろうなって思っていたけど、実際はぜんぜん違っていて。

なんなら、30歳、独身、彼氏なし、無職になろうとしている。(仮決定)


思うようにいかないなって、ほんの少しだけ浮かんだけれど、これ、ぜんぶ自分で選んどるんやないか。
ぼうけんの路だって、自分で選んできたし、潜在意識みたいなものがあるのであれば、わたしは、普通や安定を望んでいないのかもしれないなと思った。

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着きました。(唐突)

目的地までの描写がほぼないのは、そういうことです。エッセイを書くか、生きるかだったら、誰だって、「生きる」を選択すると思う。

ゆっくり歩いたし、一度モンキーになったので、駅を出てから1時間半くらいかかったけど、着いたぞ〜〜〜!!!!
美しいものを見たときとかって、すべての語彙力を失いませんか?そうですよね?言葉で語るより、見てもらった方が伝わると思うので、写真だけ載せますね。

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自分の低身長と撮影技術のなさを呪いたい。
リーチが短いと、ろくな写真が撮れんのよ。

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これは、ちょうど和田アキ子と同じ鳴き方をするカラス。


おわかりいただけただろうか。
晴天と絶景に恵まれ、本当にいい日に来たなと思った。
思いつきで行動するのって、先入観ゼロで飛び込むからいい。

うっかり、吊り橋、2往復もしちゃった。(照)
このままでは橋の上に住んじゃいかねないので、後ろ髪を引かれながら下る。

急勾配の階段は、土俵入りの力士さながらの体勢を取って、なんとか降りられた。くノ一にモンキー、力士と、今日は大忙しである。



下る途中、ダウニーの柔軟剤の香りを、強烈に放つ男とすれ違う。
いい匂いだよね、ダウニー。わかるよ。でも、いまはいいかなって。


15時。ピトンの小屋、到着。
行きと同じ場所で、残りの芋ジュースをチャージ。まだほんのりあったかい。


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お手洗いに向かう途中、ペッッシャンコに潰された空き缶を見つけた。
ここまで潰す労力 < ゴミ箱に捨てる労力
ということか。なるほど。わからん。


来た道とは違った道で私市駅を目指す。
ピトンの小屋でまったりし過ぎて、全身が冷えていた。冷えてない部分を探す方が難しいくらいに冷えてる。


銭湯はどこだっ!銭湯を出せっ!
(スタジオジブリ 千と千尋の神隠しより)


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そんなものはないので、偶然リュックの中に入っていた銭湯でなんとか生きようとする。(錯乱)

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スーツケースに大量のハンガーと、布団。
神に試されている。生きるために、拾おうか迷った。

そんなこんなで、わたしの「苦手なことをひとつしておく」は終了した。
なんや、めちゃくちゃ楽しいやないかい!



一人でどこかに行くと、いろんな発見がある。
共感するのも幸せだけれど、一人だと、すべて自分がしてきた選択の連続から、いまここに生きているんだということを痛感する。

無理して、急勾配の道を駆け上がったとき、息があがって苦しくなった。
立ち止まって、息を整えてから、また進んだ。

いまの自分には、こういう時間が必要なのではないかと感じた。


30歳、独身、彼氏なし、無職。
そう、胸を張って言える日が、もうすぐそばまできている。気がする。