大好きな母のこと-2021.6-

わたしは、母が大好きだ。
一昨年、ひとり暮らしをはじめたタイミングで生まれてはじめて実家を出た。
今まで実家を出なかった理由は、特に出る理由がなかったから。
恥ずかしながら実家を出るという発想すら、当時のわたしにはなかった。

けれど、28歳の冬。「このままではあかん。あかん気がする」と思い立ち、転職のタイミングで実家を出ることにした。

転職してから、それはそれは爆裂に忙しかったが、それでも、会社から最寄り駅に向かって歩く時間や、電車が来るまでの短い時間に、わたしはよく母に電話を掛けた。
なにかあった日も、なにもない日も。なんでも話すわけじゃない。しんどいことを聞いてほしいわけじゃない。その日あった些細なこと、それこそ「作っていったお弁当のおかずがおいしかったよ」とか「こんな学生がいて(当時は教育関係で働いていた)、めちゃくちゃ手焼くけど、かわいいねん」とか。

母は本当に聞き上手で、母以上に聞き上手な人に、わたしはこれまで出会ったことがない。気乗りしないのになんとなく電話を掛けたときだって、けっきょく最後にはわたしがずっと話をしている。母との電話はいつもそのパターンだった。


母は8年ほど前、脳の大きな手術をした。開頭手術。半日かかる大手術だった。術前の話では、ほとんど後遺症も残らないだろうということだったが、けっきょく、視野の欠損と手足のしびれ、高次脳機能障害からくる軽度の失語症などが残った。高次脳機能障害は、脳の中で辞書がバラバラになっているイメージなんだそうだ。相手の話を聞くとき、自分の話をするときに、整理されていない無数の言葉のある辞書の中から、的確な言葉と意味を拾って、考えて、自分の言葉で相手に伝えなければならない。これはものすごく疲れるだろうなと思う。わたしは母に話をするとき、以前より少しゆっくり、わかりやすい表現で話をするようになった。


とは言っても、病気をする前と後で、母が大きく変わったかと言われると、そんなことはないかもしれない。父や兄はそんな風に言う。わたしも劇的に変わったとは思わないのだが、それでも以前とは少し違うなと感じる部分もある。
そのひとつが、涙もろくなったこと。ドラマなどを観て泣くことはあったが、「悲しい」とか「寂しい」とか、そういった個人的な感情を家族の前で出すことはなかったと思う。少なくとも、わたしたち子どもの前で泣いている母の記憶はない。

けれど病気をしてから、母の涙をわたしはたくさん見るようになった。最近は少なくなったが、例えば、わたしが嬉し泣きしていたら一緒に泣く。買い物で買わないといけないものを買い忘れて泣く。うまく自分の言いたい言葉が出てこなくて泣く。
きっと母自身、「こんな自分じゃなかったのに」という過去とのギャップに苦しんでいるところもあったのだと思う。
そのたびに、母に感謝の気持ちを伝えた。本心だった。母が生きていてくれて、穏やかな日々を過ごせることは、この上ない幸せなのだ。
しゅんとする母に「大丈夫、大丈夫!」と笑いながら声を掛けると、そのときも泣く。なんと愛おしいことか。本当に愛おしい。


実家を出る日。両親に引っ越しを手伝ってもらった。引っ越しを終えて、わたしだけが新しい家に残るとき、「そっかぁ、一緒に帰らへんねんなぁ。」と少し寂しそうに言った母のことを今でも覚えている。わたしも母が大好きだが、母もわたしが大好きなのだ。母にたくさん電話を掛けるのは、わたしが話を聞いてほしい気持ちはもちろんあったけれど、母に寂しい思いをさせたくないという気持ちも、またあった。
実家に帰ると、「また来てなぁ。」と言う。そこには暗に「すぐに」という気持ちが込められているように感じていた。


そしてさっき。わたしはまた母に電話を掛けた。ウォーキング中だったそうで、電話越しに、アスファルトを歩く音と、はぁはぁと息の上がる声がして、「かわいいな。頑張れ!」と思いながら、どのあたりを歩いているのか尋ねたりした。

「最近なにしてるん?」
電話で話をするなんて久しぶりでもなんでもないのに、母は決まって、自分の話をするのではなく、わたしの話を聞きたいと思ってくれる。
つい、なんとなく環境を変えたくて関東への引っ越しを考えていることをポロリと口にした。すると母は、

「行ったら?行ったらなんかあるやろ。」

実にあっけなく、特に驚く様子もなくわたしに言った。
もっと驚くと思ったし、もっと寂しがると思った。なにより、背中を押されるなんて思ってもみなかった。遠くに行ってほしくないからとかそういう理由だけではなく、仕事もしていない、なにをするかも決まっていない中でのわたしの突飛な行動を懸念して、「落ち着きなさい」的な言葉を掛けられるんじゃないかと思っていた。
いろんな感情が込み上げてきて、わたしは泣いた。嬉しかった。こんなにも愛されて、こんなにも信頼されているんだということを、母のこのひとことで感じた。
同時に、わたしは母に対して、「わたしがそばにいてあげなきゃ」という使命感みたいなものを持っていたんだと気が付いた。そして、その使命感に支えられていたのは、まぎれもなく自分だったということも。

仕事がしんどいとき、友達と過ごして楽しかったとき、恋人との関係がぎくしゃくしてつらかったとき、具体的な話はしないけれど、その使命感があったから、わたしは安心して母に電話を掛けることができた。寂しい思いをさせたくないんじゃなくて、自分が寂しかったんだ。わたしが母に話をしたかったんだ。電話の先で、母が「待ってくれている」という絶対的な安心感に支えられていた。けっきょく、ずっと母に与えてもらっていた。
母を信頼しよう。今よりもっと。母がわたしを想ってくれているように。


「東京にはいろんな人がおるからなぁ。おもしろいやろなぁ。」

母もむかし住んでいた東京。そこで父と出会って大恋愛の後、結婚した。
本当に関東に行くかはわからないし、これから自分がどんな風に生きていくかなんて見当もつかない。
けれど、どこに行ったって、こんな風に惜しみなく愛情を注いでくれる人がいる。そしてどこに行っても、わたしは母にたくさん電話を掛けるんだろう。