欠陥人間

足りない。というかバランスが悪い。
わたしは、どこにいっても、いつもいつも、もがいている。
何をやらしてもとにかく要領が悪いし、慣れるまでに人一倍、いやそれ以上の時間を要する。

大学生のとき、2つのアルバイトをした。
ひとつはスーパーのレジ打ち。
もうひとつスポーツジムのフロント対応。

この頃から、おかしいなぁ〜なんか変だなぁ〜(稲川淳二み)と感じていた、のかもしれない。
いや、もっと前からかもしれないが、とにかくわたしには苦手なことが、なんだか多いのだ。

振り返れば。

わたしは小学生の頃から、よく居残り勉強をさせられていた。
放課後、クラスのみんながリコーダーを吹いたり、グリコをしたりして、きゃあきゃあ楽しそうに帰って行く最中、わたしは教室で引き算や割り算のプリントをやらされる。

11ー9はなぜ2なんだ。
1からどうやって9を引くのかがわからなかったし、4分の3なんかも、もっとわからなかった。
それを見兼ねた母が、本屋で簡単なドリルを買ってきてくれ、留守番をしているときに家でやらされたりもしたのだが、ほんと、ぜんっぜんわからん。答えを見て、わざと正解したり間違えたりして、巧妙な手口で丸付けをしたものを「できた!」と言って報告をする、ズル賢さだけが磨かれていった。

話を大学時代のアルバイトに戻そう。
まあ、とにかくミスを連発した。

まず、スーパーのレジ打ち。

なんで今日だけピーマンが安いねん。
ピーマンだけ別のボタン押さないとあかんやろ。ほんでこのピーマンは安くならん方のピーマンなんかい。
パック詰めのお惣菜も、5個買ったらその金額でええやん…50円引きとかにするから、ややこしくなるんやろ…

すべてのトラップにまんまとハマり、めちゃくちゃミスしたし、当時は自動でお釣りが出てくるタイプのレジじゃなかったから誤差もよく出した。
そこでは友達もあまりできなかったので、8ヶ月くらいで辞めた。


スポーツジムのアルバイトも同様だった。
会員証の受け渡しなんかは、何も問題がなかったが、入会や退会の手続きがわたしを苦しめた。とにかく確認事項やキャンペーンが多いのだ。

・入会申込書の不備がないか
・初回引き落とし日はいつになるか
・入会手数料と月会費の徴収
・入会特典のヨガマットの進呈

これらが毎月内容を変えて、わたしの元へと襲いかかってくる。変わるな。全員、元日に入会しろ。そしたら月会費も変わらんやろ。
もちろん徴収する金額は間違うし、ヨガマットも頑なに渡さなかった。

なんかミスが多いなぁ。
相応のストレスはあったが、当時はそのくらいにしか感じていなかった。

無自覚だったのかもしれないし、認めたくなかったのかもしれないけれど、さいきん世間でよく耳にするようになった、「生きづらさ」みたいな言葉を、当時のわたしは知らなかったから。なんとなく、要領が悪いな、慣れるのに時間がかかるな、その程度の認識だった。

努力の甲斐あって、地元でそこそこの進学校に通っていたのも、自分の「苦手」について、何か考えを巡らせることを遠ざけたのかもしれない。

学生時代に自分を測るものなんて、「足が速いか」「テストの点数がいいか」「面白いか」(関西限定)くらいのもので、運動はできたし、父親譲りのサービス精神とユーモアのおかげで、友達づくりに苦労した記憶もなかったから。


ただ、振り返るとやっぱり、そこそこの進学校に入学するときは、「努力の甲斐あって」なんて生ぬるい言葉でなく、「死に物狂いの努力をして」に近いほど、多大な時間と労力をかけていたな、と思う。

さて、これだけミスや苦手が多かったわたしだが、どこにいっても別に嫌われているわけではなかった。
むしろ、特にスポーツジムではすごく可愛がってもらっていたと思う。

ショートボブにぱっつん、黒縁の眼鏡をかけて行ったときから「大木凡人やん」と死ぬほどイジられ、事あるごとに「凡人」と呼ばれたけど。

とにかく何かにつけてイジられたので、わたしのツッコミスキルはここでピッカピカに磨かれ、今ではわたしの財産になった。
友達もたくさんできたし、恋人もできた。

そのスポーツジムでのできごと。
そこでは、毎月休館日にミーティングをやるのだが、これがけっこう好きだった。みんなで館内を掃除したり、新しいスタジオメニューを実験的に受けられたりするのが楽しかったから。


しかしその日は違った。

フロントに入っている数々のクレームの話。

フロントスタッフの接客が気に食わない、なんとかしろと、特に長くジムに通う年配の方からクレームが多く入っているという、なんとも気の重い話が中心だったのだ。

ギクリとした。
ミスを連発しているわたしには、思い当たる節しかなかったから。

いつも何かにつけて笑いをとり、場の雰囲気をワッと明るくしてくれ、全員から慕われるフロントのリーダーが、神妙な面持ちで、ずぅんと重たい話をする。

なんか息が苦しくなってきた。ジムにある酸素をシュコーッてするやつを、誰かこちらに投げてくれ。
ちなみに、わたしに大木凡人のあだ名を付けたのはこの人だ。

「忙しいとか、そんなん会員さんには、関係ない」


はい…


「ここでいろんな人と話して、一緒に汗流して…それを生活の中のひとつの楽しみとして来てくれてる会員さんがたくさんいるわけですよね?」



はいぃ…


「そういう人たちをフロントでお迎えする私たちが、適当に会員証返したり、片手間であいさつしたり、いい加減な対応したらどんな気持ちになるか。フロントの仕事は、何のためにあるんか、改めて考える機会にしてください」


ひぃ〜〜っ!ごめんなさい〜〜っっ!(切腹)


忘れたけど、なんかこんな感じの内容を話していたと思う。
そんな対応をした記憶はなかった。けれど、とにかくすぐにテンパるし、ミスも多い自分だったから、誰かを不快な気持ちにさせていたのも当然だ。そう思っていたのだけれど、

「この中でいちばんフロントの仕事を一生懸命やってるのは、ひいろです」



…へぇ????なんて???????


何が起こっているのか、飲み込むまでに時間がかかった。だって、思わぬこと過ぎたから。
褒められた…?なんで?

「いつ見ても、全員に笑顔で接してるのはこの子だけです。その人にちゃんと向かって話をしてる。見習ってください」


な、な、な、なんやてーー!
褒められとるで、工藤!!!

毎日くらいの勢いでミスしてるのに?
わたしの字で書かれた「気をつけます」「申し訳ございません」の文末で終わる付箋が、常時5枚くらいフロントに貼ってあるのに?

信じられない気持ちやら恥ずかしい気持ちやら、いろんな気持ちが混ざって、赤面した。
けれど同時に、心が解けるような、あったかくなるような、そんな気持ちが湧き上がってきた。

わたしは、そんな風に周りの人に接してるんや。

わたしのいいところって、そこなんや。

わたし、この仕事で少しでも何かを残せてたんや。


「こじらせた人見知りを克服したいから」

これが、わたしがここで働こうと決めた、1番の理由だったから。
叶った!ほんの少しだけだけど。そう思えた。

小学生時代の居残り勉強。死に物狂いで頑張らないと、どうにもならなかった受験勉強。そして、そこら中で、黒ひげ危機一髪をやってるかのごとく、ぽんぽこぽんぽこミスしまくるアルバイト。

「苦手」や「失敗経験」の多さから、新しいことに挑戦するということや、仕事をするということ、そういったものすべてに対して自信を持てずにいた。
そのくせ、変に完璧主義で、いい格好しいなもんだから、もう最悪で。
それがさらに自分の首を絞めた。


高校を卒業したあたりから、他人と、どう関係を築けば良いのかわからなくなってしまったのだ。

すごい人だと思われたい。


格好悪いところを見られたくない。


嫌われたくない。

ぜんぶが悪戯に渦まき、わたしの思考も、体も、支配していった。

出会う人すべてに対する「正解」を探し続けて、探し続けて、探し続けて、いつしか、自分自身のことが何よりもいちばん、わからなくなっていた。


いろんな顔を使い分ける自分が、とてつもなく狡猾な気がして、自分のことを嫌いになった。

わけがわからなくなったわたしは、人目を過剰に気にしてしまい、ついにマスクを付けて大学に行くようになった。
苦しかった。自分のことを誰にも見つけられたくなかったし、あらゆるものから自分を守りたかった。

期間にして、1週間。

たった1週間。そう思われるかもしれないけれど、わたしにとっては、いろんな葛藤を背負い、自分と向き合った時間だった。

マスクをしているときは、とても楽で、簡単に息が吸えるような感覚があった。
けれど、もしこのまま、ずっとマスクを外せなかったら。
そう思ったら、とても怖くなった。


きっとここで楽したらダメだ。なんだか、この先の人生がかかっているような気がして、わたしは、次の週からマスクを外し、絶対に人と関わらなければならない、フロントのアルバイトを選んで面接を受けた。


結果、わたしは、その面接で泣いた。嗚咽した。

面接をしてくれている大人ふたりが、隠しきれないほどの慌てた表情を、当時大学生のわたしに向けてしまうくらいに。

人見知りに完璧主義、いい格好しいという、すべての要素が荘厳なオーケストラを繰り広げ、それが大事な場面で見事、フィナーレを迎えたのだ。
試されているという状況。注がれる視線。それらがわたしに、ずしんと重くのしかかり、怖くて、苦しくて、行き場のない感情が爆発してしまった。


消えてしまいたい、とはじめて明確に思った。


格好悪い。
苦手なことを克服したいのに、こういうときにも苦手なことが、わたしの邪魔をするのか。

面接をしてもらった事務所を出てから、確かにバスに乗り込んで家まで帰ったのだけれど、自分の冷え切った手の感覚以外のことは、正直何も覚えていない。

世界一大好きな母親に、ただいまも言わず、その日はただ布団の中で、朝が来るのを待った。


もう、どうしようもないな。

そう思っていたら、数日後。


採用の電話が掛かってきた。
どういうことや…?工藤……?!


信じられなかった。
面接もろくにこなせないわたしを雇ってくれる職場なんて、圧倒的な人手不足に決まっている…!
と思ったが、そんな邪な感情には、スマブラのホームランバッドで豪快なホームランを決め、わたしの人見知り克服の開幕戦とした。


ほんで蓋開けてみたら、このザマですわ。
笑けるくらいミスする。パッパラパー。


けれど。それでも。
ただひたすらに、わたしを信じて、見てくれようとしてくれる人がここにいた。


やさしさとは、信じて、見ることだ、とわたしは思う。

信じて見てくれたから、わたしはここで働くことができたし、わたしの良さみたいなものに、気付かせてもらえた。

あんなに不器用で、おおよそ、ひとつのことしかできないのに、それを辛抱強く、優しく認めてくれる人たちがそこにはたくさんいて、だからわたしは特に深く悩みもせず、のんきに働くことができた。

誰かを指導する立場になったとき、いつもこのことを思い出す。わたしは、当時のわたしを、そんな風に見てあげられるだろうか。硬くて重たい何かで殴っちゃわないだろうか。本当に感謝しかない。本当に。

そして、今。
わたしは教員の仕事をしている。
当時のわたしが知ったら、どう思うかな。何て言うかな。

この間、ベテランの先生たちが手を焼く学生と面談をしたとき、「俺、先生の言うことは聞くねん。先生は俺のこと決めつけへんから」と話してくれた。

そっか。
信じてもらえる嬉しさを知っているからだ、と思った。
だからわたしは、誰かを信じようと思えるんだ。
やさしさは、こんなふうに輪になって、違う誰かのもとに届くんだ。

自信なんて今もないけれど、あのとき信じて見てくれたから。
わたしはわたしのことが好きになって、わたしにも、誰かにもやさしくなれた。
やさしさは、その瞬間で終わりじゃない。その先の人生にも、ずっと寄り添ってくれるものだ。そしてそれは自分だけでなく、大切な誰かのそばにも。

秋になると思い出す人のこと

ついこの間まで半袖で暑い暑いと言って、日傘も手放せなかったのに、今は当たり前のように長袖に腕を通している。
最近は金木犀の匂いなんかして、気が付けばもう夜だ。

卒業が他の人より半年遅くなった彼は、たしかすこし秋を感じるこれくらいの季節に、この場所を離れていった。
地元で就職することが決まっていたからだ。

こっちで就職をしないと打ち明けられたときのことは、正直まったく覚えていないのだが、それでも思い返すと胸が苦しくなるから不思議だ。

彼とはアルバイト先で知り合った。
わたしはスポーツジムのフロントスタッフ。
彼はジムスタッフだった。

こいつ、めちゃくちゃ感じ悪いな。
初めて彼を見たとき、そう思った。

身長がデカくて歩き方も態度もデカい。
偉そうなラピュタ巨神兵を想像してくれたらちょうどいい。


わたしには当時、1つ年下の恋人がいた。
10割話したうちの2割くらいしか話が通じない人だったけれど、裏表がなくまっすぐなところに惹かれた。

アルバイト先の屋上で、ささやかな花火大会が開催されたことが、巨神兵との急接近のきっかけだった。

巨神兵はぜんぜん花火をしなかった。
風の強い日だったから、着火するためのロウソクの火が何度も消えて、その度に自分のライターで火をつけては、少し離れた場所でぼーっと眺めているような人だった。

格好をつけていたんだと思う。
けれど、場や人の変化に敏感で、必要な誰かのために動ける人なんだと、そう感じた。


彼は一人暮らし、わたしは実家暮らしだったが、偶然、帰る方向が一緒だった。
花火の匂いを纏いながらバスに乗り込み、横並びの席に座った。

巨神兵と小人。
彼は180cm以上、わたしは150cm以下だから、本当にそんな感じだった。


彼はわたしより1つ年上だったが、わたしの方がアルバイト歴が長かったことと、彼の几帳面な性格が相まって、わたしにずっと敬語だった。呼び方も、苗字にさん付け。

バスは終電間際だったから、よく混んでいて、仕事終わりで疲れ切ったサラリーマンの表情にさらに影を落として見えた。

車内は人を縫うようにしないと降りられないくらいにぎゅうぎゅうで、その度に背の低いわたしはいつも参っていた。


「俺がブルドーザーになりますよ」
察しが良く、気の利く彼は、耳触りの良い落ち着いた声でそう言って、わたしの前をぐんぐん突き進んでいき、道を作って一緒に降りてくれた。

彼の最寄りのバス停ではないのに。

高揚した。すごく嬉しかった。
バス停の傍の公園を突っ切って自宅に帰る最中、静かに、そして深く湧き上がる気持ちに、ゆっくりと息を吐いた。

そのときにはきっと、もう恋だった。


彼とはそれから、勤務時間がかぶることが増えていった。
たまに、わたしの家の近くのバス停で一緒に下りては、公園のブランコに揺られながら、自動販売機で買った缶ジュースがぬるくなるまで話をした。

ジュースを買うとき、「つめた〜い」の表記を声に出してボタンを押すことが決まりになっていた。

彼とすれ違うとき、フロントからジムに内線を掛けるとき、緊張しながら閉館の館内アナウンスをするとき、いつもどこかで彼が頭に浮かんでは、必死に搔き消そうとした。

誤魔化そうとしていることがもう、なによりの証拠だった。

わたしは当時の恋人に別れを告げる決心をした。
その場に立ったときの震える心と体で、この人にちゃんと恋をしていたことをはっきりと自覚した。
許してほしいという気持ちも、どこかにあったのかもしれない。
何度も何度もシミュレーションをしたのに何も上手く言えなかった。

1年と半年足らず。
わたしが付き合ったと言える、初めての人だった。
「ごめんなさい」も「ありがとう」も何もかも違う気がしたけれど、何もわからないまま思いを伝えた。

もっと、スッキリすると思っていた。
好きな人ができてしまったけれど、好きな人ができたことを、どこかで嬉しく感じていたから。

たしかその夜は眠れなかったと思う。
何故かは考えたくなかった。



「花火しません?」
数日後、巨神兵が花火に誘ってくれた。
二つ返事で承諾し、いつもの公園から少し離れた大きな広場で花火をした。

住宅街の近くの広場だったから、どんなに楽しくても声を殺して笑わなければならず、それがかえっておかしくて結局2人でゲラゲラ笑った。女の切り替えの早さというのは、本当にすごい。

2人用にしては少し多かった花火が、あっという間になくなり、
もう、一緒にいる理由がなくなってしまったな。そう感じていると、


「これ」
彼が、隠していた花束を差し出すように、花火をわたしの手に持たせてくれた。

「この花火、好きって言ってましたよね?」

確かに、わたしはあの屋上での花火大会の日、彼に言ったのだ。
「この花火、ずっと元気な線香花火みたいで、なんか好きなんです」って。


めちゃくちゃキザだなと思った。
けれど、それ以上に彼の気持ちが嬉しかった。

好きだなぁ。
もうほとんどの灯りが消えた住宅街で、ぽつりと、彼に抱いた想いが湧き上がった。

アルバイトの休みがかぶった日にはレンタカーを借りて出掛けたりもした。
思えば、父親以外の男の人の車に乗ったのは、この人が初めてだったかもしれない。

偶然、電車の中吊り広告か何かで見かけて以来、ずっと行ってみたかった神社だった。わたしから声をかけた。

車内で何を話したかまったく覚えていないのだが、笑い過ぎてお腹がよじれ、呼吸困難になったことだけは覚えている。

わたしたちだけの空間が、わたしたちの行きたい場所へと進んでいく。

変わっていく街並み。

とてつもなく贅沢で、愛おしい時間だった。
わたしがドライブを好きな理由は、ここから始まったような気がする。

念願の場所は、息を飲むほど美しかった。
人もいて、滝だって流れているのに静かで、なんだか不思議な空気だった。
山独特の冷たい空気が両腕を大きく開いて、包み込んでくれているような感覚だった。
ずっと見たかった石段と春日灯篭。
目を奪われてその場から動けず、しばらく眺めていると、

「写真、撮ってくれませんか?」
60代くらいのご夫婦に声を掛けられた。

彼はとても嬉しそうにカメラを受け取った。

「撮ります!はい、チーズ!もう1枚。はい、チーズ!!最高っす!」

カメラが趣味だった彼は何でも撮ったが、人を撮るのが1番好きなんだと、前に教えてくれた。

「撮りましょうか?」
気を利かせて、奥さまが声を掛けてくれた。

「えっ…」
照れ臭さから、明らかに動揺するわたし。

「すいません、お願いします!」
そう言うと、一瞬わたしに笑い掛け、一眼レフを奥さまに差し出した。

少し距離をとり、ぎこちなく肩を並べてピースをして撮ったその写真。
次の年には、また同じ格好をして、このときよりぐっと近づいて写真を撮ったけれど、このときの写真が、彼と過ごして撮った中でいちばん好きで、いちばん特別なものになった。



大好きだった。
一生分の恋を、彼にしたんじゃないかと思う。

どこに行くにも、公園の傍のバス停で待ち合わせをしたし、どこにも行かなくても、わたしたちには公園のブランコがあった。
彼の恋人になった瞬間も、わたしはこのブランコに揺られていたのだ。

決していい思い出ばかりではない。それでも、これほど胸がいっぱいになるのだから、仕方のないくらいの大きな気持ちを彼に抱いていたのだろう。


こんなにも愛おしい場所が、こんなにも苦しい場所になるなんて。

たくさんの荷物を抱えてバスに乗り込む後ろ姿が、この場所から彼が離れていくという現実を、嫌という程、わたしに突き付けた。

わたしは泣かなかった。
彼を困らせたくなかったからというだけではなく、距離でも何でも、ぜんぶ越えていくんだという、自分への覚悟もあったのだと思う。


一緒にいた時間より、離れた時間の方がずっと長くなった今も、離れた時間だけが長くなっていくこれからも、わたしはまだ、彼に会いたいと思う。

この名前のない感情を抱えて生きていくのだなぁと。毎年、毎年。